自信をとり戻しあうとき

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    傍に居るひとが持っているギフト(才能)や長所を改めて言葉にして、口に出して伝えてあげよう。 
    私の今週の意識です。

    最近の友人との会話で、とてもさりげなくそんなことをしてくれる人がいて。
    それは人生からの何よりの贈り物とおもえ、感動しました。
    そしてそういうささやかなことが小さな歯車の回り方をちょっと変えて、そ
    れは次に回る歯車を変えて、これはきっと大きな影響力だなあと。想像しています。

    なんという人生からの素晴らしい贈り物、一体どんなお返しを、、と思っていると
    そんなすばらしいことがサラリと出来るその方も、
    自分では自分の得意や長所がよくわからず
    なんだか自分にはとりわけ大したものはないようだし、
    無価値観に苛まれることもたびたびあり、
    もう私も誰かに教えてほしいの〜と。
    そんなフリをしてくれているのでしょうか?

    でも人は皆、
    誰かに再確認してもらう必要があるのでしょうね。
    自分の得意や長所、素敵な所というのは、
    努力も意識もせずにそこにあるもので
    自分にとってとりわけ特別な事でもなく、ほとんど無意識に息をするように在るもの。
    すっかり忘れてしまう。
    当たり前で、そんなところを自覚して自信などもてなかったり。
    ご丁寧に苦手な分野を選んで、もがいてみたり。
    大抵の人はそんなことを、一度とならず何度か繰り返して生きているのでしょう。
    それに気づいても、また繰り返したり。
    だから何度いってもらっても、余計であることはない。


    小さなさりげないことも、口に出して伝えてあげられる週にしようというのが
    私の今週の意識。近くにいるひとと、小さなことから。
    今と此処に生きながら。

                  ☆

    春の菜 オゼイユ(スイバ)

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      すこし前(四月)にまだ準備中で別のところに書いている記事ですが、この菜っ葉(オゼイユ)の記事は、こちらにお引っ越しします。ちょっと時期がずれていますが。
      別の方は健康、精神世界、瞑想、ヒーリング、アート、色、シンボル、、などをまとめて記録してゆくもので、私のプライベート日々をつづるモノローグとは完全に分けておきたいとおもいました。

      その前に、お花やお天気の近況、、、

      北半球、北極まわりはみんな天候不順で四月(上旬)が二月より寒かったのですが。そのおかげで二月に咲きかけた桜が五月にまでチョロチョロと咲いており、八重桜が満開になるのが林檎の開花と重なり、五月五日の立夏以降は暑くなったり、たとえ空気がつめたくても日差しが近く感じられ強くなり、小さな野の花がさいています。





      プリマベーラはおわり、
      ホトケノザが沢山、つくしがスギナになり、わすれな草がそこここにたくさん、やまぶきや、つばき、野良人参のはらっぱ、それからコンフリーが葉をおおきくしたとおもったらもう白や紫の花をつけて初夏のよう、林檎の花がほころびはじめ、モーヴのリラの花が庭先のそこここでさき、菜の花畑が突然一面に黄色い(早い?)
      それから名前をしらない日本にはなかった、いまは白い花の時期。。


      リラ

      苺の花も咲いています。そして、ブルーベル、まだまだ黄水仙はさいていて(一重が冬に咲き始め、今は八重のものが)、、、、薔薇もあれば、そう、香りのよいオベッピンもいまにも咲き始めそう(初夏と春が一緒にきた、、、)
      さらには、マロニエの花も一緒にさきだしました。なんだか花をみて忙しくどこまでも歩け、丘の上の緑の多い中をを歩いていると疲れて帰って来れない程とおくまでいってしまうことも(往復四時間どか)。
      なんと贅沢な場所にいるのだろうと、おもいます。。
      いつまでここにいられるのか、と思えば。。
      よい画像のビデオなどとっておきたいものです。。機材さえあれば!おおもったいない。
           



      バスからの景色 最近公共機関をよくつかうようになったので、いままでみていなかった農道の景色をみて感動しています。





      ☆ ☆ ☆ ☆ ☆   オゼイユの記事 ☆ ☆ ☆
        

      オゼイユ(スイバ)の柔らかい葉が出てきて市場に並ぶ季節でした。


      日本の葉先の尖ったスイバも山菜として食用になるそうですが。

      これは別種の、葉先の丸いフランスのスイバ。今回調べたとき、日本では英語のカタカナ表記で「フレンチソレル」といわれることがわかりました。フランスではオゼイユといって、農家さんに栽培されて売られています。




      オゼイユ フランスのスイバ

      春の葉は柔らかく、同じように一枚ずつバラで量り売りされるほうれん草の春の葉によく似ています。茎も赤い。お天気のよい日曜日やバカンス時期の混み合ったマルシェのいつもの農家さんのところで順番を待っていると、週末のセカンドハウスの滞在者が決まって『それから、このほうれん草も』といいます。オゼイユを知らないマダムも多い。パリなど都会のマルシェでは近年はあまり見ない、食べないものでしょうか。



      春になると私の体の感性は、ふきのとうや春菊など苦みある草の他にオゼイユを食べたい!とおもうので、ああまだ健康な感性が残っているわとほっとします。春に山草をすこしいただくことは、きっと内臓のどこかをお掃除してくれているのです。日本では春になると、父がふきのとうを度々とってきてくれました。すこしずつ採取して、その日のうちに天ぷらや、お浸しなど。ビタミンも(CとプロビタミンAはほうれん草と同等、ビタミンB9)、ミネラルも豊富(鉄 マグネシウム カルシウム)。フランスやオランダやベルギーでは栽培されています。










      オゼイユ料理

      といえば、まずオゼイユの田舎風オムレツ。

      それからスープ。マルシェの農家のおばあちゃんはそれだけ言うと、次の言葉が出てこない。お店ではキッシュにいれたり。それからお魚(サーモン)のソースなど。エミール・ゾラに、子牛のお肉にオゼイユで食べる食事、、のくだりが出てくるそう。日本でいえばたらの芽、そんな雰囲気のものでしょうか。



      食べ方

      私はまず湯がきます。そのまえに、茎と、葉の中心の軸をとります。茹でたものを絞ると、めかぶのようなぬめりのあるおひたしのよう。お醤油やノリなどと、御飯のお供にオツなお味。私は草食、粗食がますます好きになり。檸檬を利かせたような酸味がさわやか、春のスイバの若葉独特の美味しさです。オリーブオイルのエクストラバージンとお醤油の組み合わせは私がすきなものの一つ。



      オムレツ

      一つかみの葉を軸をとりざっくり切って炒めてから(玉葱や、伝統的にはベーコンとあわせ)卵を加え(多くは生クリームを入れますが)フライパンかオーブンでじっくり焼きます。



      サーモンのソース

      エシャロットを刻みオリーブ油につけ、オゼイユの茎と軸をとって刻んだものと一緒にすべて炒め、濾すか、ブレンダーにかけて塩こしょうと濃厚生クリームと和えます。檸檬がわりのような、酸味のある緑がかったソースに。サーモン色とグリーンの色合わせは綺麗。

      シュウ酸

      オゼイユの新鮮な生の葉を切ると、シュウ酸が多そうな匂いがします。子供の頃、春の庭で石の上で雑草を切っておままごとをした匂いです。イタドリと一緒、タデ科の匂い。シュウ酸は英語でOxalic acid といいますが、Oxalis といえばカタバミのこと。タデ科、カタバミ科などにシュウ酸は沢山あるそうです。ギリシャの神殿のある丘にも、春には一面にカタバミが緑の絨毯を敷き詰めていました。ちなみにギリシャ語でもカタバミはオキザリスといいます。日本のカタバミは小さいですが、西洋のはすっと伸びて大きく、柔らかな美味しそうな葉で花も大きめ。20センチくらい伸びます。シュウ酸は食べ過ぎると毒性もあるので少量だけ買います。私は毎回片手一杯にひとつかみほど購入し、すぐに調理します。















      四月初旬の暑い日。20度になりました。五月になっても、20度や、10度や、寒暖の差が激しい。ここ数日は寒く、夜だけ震えて暖房をつかったり、朝晩は近所に暖炉の薪のニオイが漂います。







      これは五月五日の凧揚げ大会のときの写真です。。事前の広告がフランスはほんとうに控えめで、、、凧があがっているからなにかあると気づく、という感じです。。。よくみたら看板も通りにありました。小さな看板が一杯。。。


      ナンシーウッド 人生のビーズ  Nancy Wood - The Beads of Life

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        22 Nov. 2012 Trouville-sur-Mer

        今日は、私の15年来のお気に入りでノートに書いてある、大切な詩を贈ります。
        ナンシーウッドさんが、こちらに公開させていただくことをお許し下さいますように。。。


        人生のビーズ    ナンシーウッド

        出来事と出来事の間にこそ
        人生の大部分がある。
        いまでは半分しか思い出さない
        あの喜びや悲しみ
        あの恐れや絶望
        それらは単に人生のビーズ
        どんどん伸びる 
        経験という首飾りに継ぎ足される


        出来事と出来事の間でこそ
        私たちは歳をとる
        一日が日の出から 日没までを生きる時
        次の日が羊水に満たされた夜明けの子宮から現れる
        それは限りなく続く生命の糸に通される最初のビーズ


        出来事と出来事の間のためにこそ
        私たちは生き続ける
        子供の笑い声 あるいは渓谷を渡る風のため息
        それは私たちが人生のビーズをまた一つ集めるたびに
        私たちに聴こえる音楽となって心にひろがる




        原文

        Beads of Life
        by Nancy Wood

        The space between events is where most of life is lived.
        Those half-remembered moments of joy or sadness, fear or disappointment, are merely beads of life strung together to make one expanding necklace of experience.

        The space between events is where we grow old.
        From sunrise to sunset one day lives as another day emerges from the fluid womb of dawn, the first bead strung upon the everlasting thread of life.

        The space between events is where knowledge marries beauty.
        In quiet reflection we remember only the colored outline of events, the black and white of war, the rosiness that surrounded our first love.

        The space between events is why we go on living.
        The laughter of a child or the sigh of wind in a canyon becomes the music we hear expanding in our hearts each time we gather one more bead of life.



        22 Nov. 2012 Trouville-sur-Mer


        この詩を読んだ時、私の中にこの感覚があって、
        その感覚がこの詩によって具体的にイメージとなり、
        生きてくるなかで大きな出来事があるたびに この詩を想います。
        〜いえ、むしろその反対に、大きな出来事が去りかけて次の出来事がくるまでの静かな穏やかな、なにもないような人生の季節に〜

        出来事が、私という軸糸に通される一つのビーズとなって私のネックレスがさまざまな色合いを帯びながら少しずつ長くなってゆく。

        この一生は、一連のネックレス。そこにさまざまな出来事のビーズが通されて(または通して)ゆく。
        「出来事と出来事の間の静かな時」、それはビーズとビーズの間の糸、自分という軸糸をしっかりと感じる時。

                              ☆

        多くの人は、なにかおおきなことが起こったときに、意識が目覚め、生を感じているかもしれない。
                           
        でも、本当に私たちが生かされているのは、出来事と出来事の間。そここそが重要と、意識を置く。。


                             ☆


        私にも、出来事しかみえていないときがありました。
        つまり、ビーズはばらばらに箱に入っていて、出来事という名のビーズだけが見えていました。
        悪循環で、出来事が無ければ停止する人生で、出来事を飛び石として歩いているようなものでした。


        それがあるときから、そのビーズをとりだして並べ、もっとも辛い出来事も小さな喜びも大切に眺めたとき、(実際に自分が日常でも思い出の品に糸を通してネックレスを作るように)そこに見えない糸が通ったように思えます。

        そのときから、出来事のビーズより、糸を感じるようになり。糸に自分の生を感じるようになりました。


                               ☆



        16年前のある日のこと。精神世界について話し相手になっていた人が(調度、聖なる予言の日本語が初めて発行された頃です。その本を発行日に買って読んでいて、貸してくれました。)

        「逆境(出来事)に強いというのは、本当はいいことじゃないんだよ。」といいました。

        「そのときのために準備に余念がないということは、それはエネルギー量子力学的にいえば、どちらかというと逆境を引っ張り寄せる。いつかそんなときがきて、その出来事を通してその努力や準備がむくわれる、あるいは役立つ、あるいは自己表現するという、そういう方向への物理的なエネルギーだ。しわ寄せをせっせと産み出して、治しているようなものなんだ。その人は稀に見るしっかり者のようで、要所だけは驚く程軽んじている。」


        「なにもない時になにか大事な事をやっていない、言っていない、伝えていない。自己表現できない。自己改革できない。革命を起こせない。それは、それがしやすくなる出来事を引っ張り寄せやすいんだよ、どこかで出来事による修正が必要なんだ。意識していなくても、潜在意識的に引っ張り寄せる。」

        なにもない時を大切にするんだ。
        それはより、生産的な、健全なエネルギー循環なんだ。

        出来事をどう扱うかということは(次にどんな出来事が来るかという事は)、
        出来事の間をどう生きるかというほどには、大切ではないんだよ。」





        21 Nov. 2012



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