フランスの総合診療医についてのメモ (WHO が総合世界一とする医療システムの実際)

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    ヒマラヤユキノシタ 沢山さいています。


     
    フランスの総合診療医(メドゥサン Médicine généraliste )制度 についてのMEMO


     GP (General practitioner) 制度、はいくつかの先進国に存在するようですが、ここではGPの許可(オードナンス、処方箋)なく上位の医療を受診できない制度として書きます。日本にはこういう形態は存在しないので(私も当初新鮮で捉え難かった)、根本的に想像しにくいのでご興味のある方のために一筆します。一つ前の投稿の話題(十年後検診)に関連した補足です。医療従事者の方でも、自分が正式に国外の住人となり医療機関へ罹るということはあまりないでしょうから。。 
     
     私はオーストラリアで初めてGP、GPと聞きました。ナチュロパスのコンサルタントを受けた際にその言葉が出てきた訳ですが(GPへ行って云々)、かかりつけ医のようなものといわれると、私が小さい頃の町の開業医(かかりつけ)を想像しました(それは定年で閉院しました)。それは似て非なるもので、根本的に違います。日本でご近所にある◯◯医院という開業医のかかりつけでは全くないのです。結局、フランスにくるまでその意味が正しく把握できなかった、と今思い返します。これは、素晴らしいシステムだとおもいます。



    日本
     私の知る子供時代の日本のそこは、医師は一人でしたが、入ると受付があり同じ場所で会計時に薬まで処方していましたから薬局の役割も担っていましたし、中には診療室が二つあり、看護婦が何人かいらして、レントゲンまでもあり(風邪をひいて咳をしていれば、すぐにレントゲンでした)、吸入あり、注射も打つところでしたし、二階もあるようでしたから入院もできるのかもわかりませんでした。それは夫婦とか家族とか、そういうとても私的な繋がりの中の人々で、実際に自宅の続きでした。フランスで言う三つの分業のはずが、一つにすべてあったのです。
     近所にもう一つ開業医がいましたが、そちらも一人の医師で自宅を兼ねていましたが、看護婦が数人おり、子供時代も風邪で訪ねるとすぐに必ず注射を打つ(何の注射だったのでしょうか、その場で決まるので患者にはよくわかりません)、大量の薬を出すなど、人に寄っては悪くささやかれていました。一旦入ると、一人のお医者さんの判断ですべてが決まり、彼の決めたことが彼の収入源にもなる、というところでした。
    また、日本ではどこでも、かかった内容のカルテを医院が維持してしまいます。ですから、あちこち動くと自分の医療処置履歴が点々バラバラになって分散します。そしていつのまにか定年で閉院します。そのときカルテが頂けるわけではありませんし、他の医師が読んで把握する内容でもないかもしれません。よって、個人の人生の中での情報は結局不明確になります。私はホメオパシー医に聞かれた過去にかかったあるウイルスの名前がわからず、関連してきたので、閉院したところへカルテを頂きたかったのですが。そういう行為も非常識やご近所で云々といわれましたので、どんなにおかしな(地域)社会かと憤慨したものです。ある種、田舎だったのかもしれませんが。

     また、GPを決めるのではなく、病院を決めなければならない日本では、総合病院がカルテや検査結果を保管します。引っ越したり、疑問があって病院を変えたりすると、検査は一から、自分の体の健康に関するデータ(カルテ)がまた分散します。フランスではそういうものとは全く違う、根本的に違うシステムです。私が日本で「これはおかしい」と常々強く思っていた事が、ここでは解決されていて、「そうそう、こうあるべきよ。」という常識的な患者の健康の為の(病院経営がビジネス足り得ない)形があります。



    Rainy day  March


    フランス
     通称メドゥサン(メドゥサン•ジェネラリスト。フランスの総合診療医)は、一人単独の医師であり薬品や看護婦を持たず、予防接種などの注射など以外の処置をしない(その注射も自分のところには置いていない)。医院ではないので、もちろん、レントゲンや薬もありません。彼は判断者、判断の目という存在。

     アパートの一室などを借りた部屋には、書斎机と椅子と診察台しかないので彼の広いお部屋、という感じで、書斎机越しに普通の椅子にすわります。私の場合はよく夫と三人で、談話、という雰囲気に。机には、コンピューター。フランスのシステムである、カルトヴィタルという医療保健カードを本人から受けとって差し込んで繋ぎ、その中にあるチップにすべての情報があります。歯科でも眼科でも婦人科でも総合病院の受付でも検査技師にも、このカルトヴィタルを出し、コンピューターに繋いで中の情報をみれるカルテです。同時にその日の医療行為を書き込みます。この、患者(国民)が持っているカルトヴィタルが全国共通、全医療項目共通の診察券兼保険証、兼総合カルテ、兼総合処方箋履歴、検査履歴。(他には保険証も個別の診療院発行の診察券なども一切ありません、お財布にカルトヴィタルがあれば、倒れて救急車で運ばれても大丈夫、すべての自分の医療データや薬のデータがこのカードのチップに書き込まれています)。
     処方箋は誰にでもはっきりと読めますコンピューターでタイプして入力します。すべてはカルトヴィタルのチップ内に入力されるので、医療関係に手書きは存在しません。どこの医師がどの疾患にどの薬をどれほど出したか、どの薬局も見れます。

     メドゥサンには予約をして行くので、待つ事はありません。時間は厳格です。時間通り少し前にいく義務があり、ほぼ時間通りに呼ばれます。過去に、十分と遅れることはありませんでした。この辺りは大都会ではないので、だいたい、三日前後で会うことができます。急ぎや、開いていれば翌日、当日も可能。




                                                                              ←メドゥサン(クリックで拡大)




     メドゥサンの一回のコンサルタントはどこでも誰でも一定額です。一本の注射でさえ処方箋を書いて、薬局に買いにいかせて、再予約をして再来させますから、彼は常にコンサルタント代のみです。個人はそれがなんなのか、薬局に聞けますし、名前も箱も手にするので気になれば自分の家で注射の箱を前にしてインターネットで確認できます。(たとえばワクチンは要冷蔵ですから、薬局でアイスパックにはいって渡され、冷蔵庫保存し、短時間で運びます。日数(消費期限)も気をつけます。クライアントの自主性と責任感が必要。フランスでもワクチンの不必要など声が上がっていますが。)今回も、検査の前に一本の注射をしましたが、メドゥサンが出した処方箋で夫本人が薬局に買いにゆき、当日持参したものです。忘れたら、アウトです。

     総合病院はなんの決定権もなく、メドゥサンが指示した注射や検査以外を施術することも、請求もできません。薬局も、どこにいってもいいのですが、家のそばに一カ所決めておけば、その薬局がだいだい仲良くなり把握してくれます。
     薬局に聞けば、ご近所でどのメドゥサンがよりオルタナティブで、どの人は逆にオーソドックスで薬を沢山出すのが好きな人か、だいたいわかります。やはり現代医学ですから、日本の東洋医学のような観点の人がいるわけではありませんしここはもどかしいところではあります。カナダオーストラリアとかではもしかするとホメオパシー医などが処方箋を出せるのかわかりませんが。一度指定したメドゥサンを変えることもできますし、自分の街でなくてもよい。申請をするだけ。すべては透明です。



    Mouettes...
    子づくりの時期。喧嘩をしているオス。同じ巣からの兄弟では?
     喧嘩も見下しもしない(余談コラム)
     フランスでは「西洋医学」ではなく単に「医学」。近代医学と伝統医学が自分の場所で一本の同一線上の発達したもの。日本のように西洋だ東洋だと喧嘩分離していません。自分のところの「伝統」から「近代」であるわけです(同じ宗教内で発展)


     よって、同じ薬局で、このケースにふさわしい薬草(ティザン、煎じ茶)やホメオパシーの薬などを置いていて、相談できます。精油も薬局においてあり、薬剤師が本をチェックして教えてくれます。薬局によって、苦手、得意はあります。
     ノルマンディーは海の民(船内での長い航海時の医療)、とくに海辺には薬草や精油に強い薬局もあります。各種軟膏やクリーム、酔い止め精油ブレンド、爪や皮膚や頭皮のケア、などアロマテラピーで精油処方をつくって売っているところもあります。皆、普通の薬剤師でもありますから、同時に医師の処方をみて抗生物質も出す人です。

     以前、友人が癌センターにかかり化学医療を施した際、センターからのさまざまなアドヴァイスの中に、化学医療を始める◯◯週間前から深海鮫の肝油(こちらのマークECOMERでした)のカプセルを飲むようにと指示があり、それは免疫システムを強化し、水銀の解毒に優れているそう。Alkylglycerole アルキルグリセロールが重要のようです。またかなり細かい家での食事メニューの指示がダイエティシャンから出ており、本人もセンターでコンサルタントを受けたそう。

     喧嘩がない、軋轢がない、現代医療が伝統医療を見下していない。二分されていない、至って静か。医師にとっても代替医療も家で母や祖母が使ったもの。地球の反対から学んできて付け加えたものではないので、これらが同居することは自然なのでしょう。神道と仏教の同居のようなものでしょうか? 日本の西洋医学医師の多くが伝統医療を見下し知識がないのは、自分の一部を見下すようなもので、それは韓国や中国と喧嘩をやめない日本の姿に似ている共通点がある気がします。




    総合診療医のコンスュルタスィオン(コンサルタント、診察、診療)は30〜40分 ゆっくりと
     メドゥサンは、日本(東洋)で想像しやすく言えば、最良は恐らく、中医学や東洋医学の先生(さらに医大で医師免許を取った方など。フランスでメドゥサンになる先生は何年かけてどのくらい学んでいるか調べていませんが)が、マンションの一室などで登録メドゥサンとなって、薬局方の薬や検査指示の処方箋を発行できる、という感じでしょうか。​ 予防医学的観点がある方です。(ただしこれには病院側も、個々医療法人ごとの独立ではなく、壁を取り去り、連携と提携により全国で横に繋がり、才能と機能を分け合い開かれている必要があります。)
     子供の頃から知っていたり、家族を知っている。地域の人。仕事は順調か、どこか、どんなことをしているのか、機械や薬品を使うか、自分が長く居る場所(席)の周囲にそれが多いか、どんな機械か、重い物を運ぶか、歩いてどのくらいか電車か車か、生活の心配はないか、ご家族はどうか、最近結婚したとか転職した、子供ができた、、移住して何年目かなども話します。コンサルタントは一人30分〜40分位でしょうか。ゆっくり話しながら糸口がみえることも。
     心理的ストレスと、運動不足だね、ということもありますし、あ、これはどうかな、とおもったら検査にまわします。変な話、大事に聞いて注目してくれるので嬉しく安心でき、カウンセリングのようにお話に行ってしまう人も中には居ると思います。ちょっとそういう雰囲気もなきにしもあらず、怪しいホクロをみつけた、イボができた、で飛んで行って、残り時間で雑談している間に何か思い出したり、大事なことがあったり。まさに、コンサルテーションです。メドゥサンはいろいろ性格まで把握しており、それらを通して次の症状をみて判断します。よって、そのままで、ホリスティックな(全人的な)観点でその人を観てくれてもいる訳です。


    世界医療制度順位(医療水準ではなく、システム制度)でフランスが一番と知らずにいたので、少々驚きました。
    この記事の為の検索をしていて、偶然知りました。夫に聞けば、それはそうさ〜、日本が二番でしょ?この間みたら二番だったよ。(、、これにはそうは書いてないけど、、、それは医療水準じゃない?)


                Le prtit prince

                      
     判断者のメドゥサンの収入と、検査や治療や投薬はなんの相関関係もありません。彼の後ろに看護師が並んでいたりもしませんから、コンサルタントの間はクライアントと医師一人のプライバシー空間。自分の話を複数に聞かれたり、複数に診察を見られることもありません。このあたりはとてもデリケート。呼ばれるときも、医師自ら待合室にきて顔を見て(顔を憶えている)普通に呼ばれて握手をして、部屋に通されます。帰るときも彼が席を立ってドアを開けてくれ、握手の手を出してくれ、ではお元気で、良い一日を、ありがとうございましたと、お互いご挨拶をして別れますから、患者というより彼のお家へ来たような、とても丁寧な個人的知り合い関係の感じです。



                       Deauville


    このシステムの長所  
     この制度の良い所は、夫の手術時もそうですが、頭部に穴をあけてマイクロスコープでリスクの高い手術を行う場合など、自分で最高の医師を見つけて、執刀医をピンで指名し手術だけしてもらうことができることです。レントゲンもMRI写真もCD-ROM もマンモグラフィもあらゆる検査結果のデータはフランスは自分で保管しますから、すべて自分でもっていて、自分のところに溜まってゆきますから、それが可能です。今回のMRI検査でも、三年前の大きな写真とロムを本人が抱えて持ってゆきました。必要だと言われた訳ではない様で、自分で当然必要だろう、とおもったのでしょう(でも同じ総合病院にいったので、デジタルで保存してあっていらなかったようですが)。データを物理的に自分できちんと管理することで、自分で意識して責任感も持て「あ、また行く時期だな。」と本人からコンサルタントの予約をとったわけです。このシステムは患者も自分の健康に関して把握、自覚ししっかりしてくる気がします。これがAutonomy, Self government (in medicin) であり、前のポストへ書いた医療オトノミ(オートノミー)の話へ繋がります。「医療において患者にオートノミーを与えることは重要なゴールである」英語のウィキのAutonomy の医療の項目参照。

     EU内諸外国も恐らくそうで、夫もギリシャでの複雑骨折のレントゲンや術後レントゲン写真などすべて持っています(それを退院時に受け取りにいったのは私ですが。当然のように渡されました。それをGPや、GPが処方箋を出したリハビリ担当へも見せられるわけです)。
     病院がよくないと感じ変える感覚はなく、病院とは一回一回切れている、毎回どこを予約してもよい。もっともなにか大きなことであれば、毎回同じ所を自分が選ぶだけです。いずれもメドゥサンGPが介入しての治療なので、何が起こっているのかもわかりやすいのです。たとえば、こんな手術でなにを失敗すると、致死にいたるのか?という事故の時も、すべては医療現場からメドゥサンに即時報告義務がありますから、隠せません(患者にもメドゥサンに渡すようにとレターを渡し、患者も開封できます。が医師にもデータをデジタルで送っているようです)。ですから、隠蔽が絶対不可能なシステムに見えます。
    。。。人間は地上にいるかぎり、限りある(物質的な)体を持っている限り誰も仏様にはなれませんから、医療にしろなににしろ根本的に改善してくれるのはシステムと法です。。。

     エピソード
     さて、それで執刀医を指名したら、メドュサンに伝え、相互が繋がって連絡をとってくれます。夫の手術の場合は、彼曰く世界のどこへでも行くつもりで(顔面片側麻痺か片足麻痺のリスクもかなりあったので)最高の執刀医をネットで捜したところ、なんと自分の国のしかもパリにいた。そしてもう引退だといわれたけれども、お願いしてとうとう最後の執刀として受け入れてくださったという。三年前の検査時に、MRI技師が、「ちょっとよくわからないのですが、、一体どこをいじったのです?本当に手術をしました?信じられないなあ。魔法だ。」といったそう。夫は執刀医の名をいうと「ああ!その人か、、、さすがだ。彼は伝説だよ。最後の患者だったのですか?それは幸運ですね。」と感心されたそうで、ご機嫌で帰ってきましたが。
     手術は完璧で、顔や足や平衡感覚の後遺症もなく。雑音や聴覚の低下は誰にでもあるそう。術後はやはり当然平衡感覚がなく、よたよたとうまく歩けず。「勝負は、どれだけ早く歩きだし、どれだけ沢山毎日歩くかだ、それしかない。」とその先生に言われた彼は、真に受けてその瞬間から点滴のポールを支えに出て行って、院内を延々とくまなく歩き始めどこかへ行って、居なくなってしまった。看護婦さんに探されて叱られたそう。退院後は家の回りを、とにかく毎日歩いて、歩いて、歩いたのだそう。どこまでも。
     

        

         
           あるく人々   三月
     
     

    最近忘れっぽい私が。
    三年か四年ぶりに病院へいったので。
    忘れぬうちにいろいろなことを一気に書きとめましたが。溜息をつかれませんよう。
    また自分でも忘れてしまうかもわかりませんが。
    より多くの人が、こういう方法もあったと知る事で、
    そろそろ我が国も導入しないと、、という流れになるものです。
    国民の意識と知識がある割合や水準に達すると、
    現実化せざるを得なくなるものです。

    これを書いている私も、来年は日本や他の国へ居る可能性は無いともいえません。
    この為にここに住んでいるわけではないので。。
    ご縁のあるお相手がネパール人であったら今頃、ネパールの事情を書いていたことでしょう。
    ギリシャの事情ことは結構、忘れてきてしまいました。

     
     
                      
                              ホワイトネトル

    十年後検診と。

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         遅くなってしまいました。。

       例に寄って、文章が長過ぎる病が。最近ブログを書き始めた夫が、私のブログが長すぎると毎回指摘。半分に切るべきだと。しかし、私が短くしようと手をいれるとダブルの倍になるという逆の現象が起こり。。

       お友達との時間、さまざなまニュース、いろいろな事がありましたが。。濃厚な時期のような気がします。ちょっと夫からうつり軽く春の軽い風邪をひきました。現在夕方6時で24度、と急に暑くて頭痛。人間とはわがままですが、寒暖の差が激しい。これは真夏の気温。半月前は6度とかだったので。ノルマンディーには「春には一糸も脱ぐな」というようなことわざがあります。どんなに陽射しが暑くても、温度計が夏と同じ温度をさしても、スカーフの一枚でも取ると風邪をひくぞ、という警告です。その通りです。つい周囲も薄着ですし、薄着をしがちですが。うっかりするとガクガク震えて帰ることにも。

       悲しいニュースも重なり、夫のお友達の奥さんに早期乳がんが見つかってしまったり、二度目の子宮外妊娠でまだ若いのに子供を産めなくなってしまった友人のニュースなども。。彼女は当時のチェルノブイリに近かった国で十歳以下で、夫同士も話しながら普通に自然に可能性を疑いますが。誰にも証拠も出せず、責められないものです。もしそうでもどうしようもない、受け入れるしかないものでもあり。30年もたって、分析も無意味。

       これほど世界のあちこちでさまざまな悲劇が起こっている中で、彼女も自分だけいつまでも悲しんでいたり気落ちできないと、悲しめばいくらでも悲しめるけどきりがない、もっと大変な人が一杯いるでしょう?と、少なくとも私は元気で健康で愛する夫もいて、家もあると、強気な明るい声をみせています。
      ネコ達がいるわと。まだ三十代半ば。それを外国語であるフランス語で話す。心で拍手。



      検診••• 
      さて、ようやく。ひっぱるほどの話でもないのです。夫の術後十周年でした。ちょっと気になったこともあり、自主的な検診依頼で、主治医を訪ね、先月末に車で30分の総合病院でのMRIについてゆきました。
       

       付き添うような大げさなことではなく。別に来なくていいよといわれたのですが。どんなところでどんな先生と、どんな雰囲気で会話を、、など小耳に挟んで、、と。全くわかっていないのも、と。そんな余裕がでてきた、、、というよりも、もとより総合病院にかからなかった私なので。考えてみれば四〜五年位行っていないかもしれず、記憶が消えてしまっていたのでちょうど良かった。内陸の総合病院。(海岸地帯にもありますが遥かに小規模) 夫の出張中になにかあったら一人で行くのに不安だろう。彼になにかあったら私はどこへどのように?とか。不安の種はよくないので、消去法。「勝手を忘れちゃったので、私のオトノミ(自立、自発性)の為にもなるので。」と言って同行。

       
        Yuko  Idra Grèce -Dessin Oncle de chine, Aquarellle sur papier recyclé 2002
      古い写真データがでてきました。

       オトノミ (Autonomie) という言葉は便利。フランスではオトノミーはリスペクトされるらしく、親子であろうと夫婦であろうと、雇用者と社員でも、介護者と介護を必要とする人でも、医師と彼を必要とする患者でも、個々のオトノミー(自立)への意欲を尊重する、自己統治への意欲をへしおらない、という感覚が強いようです。日本から来て言語もできなかった私には、医療現場でも職場でもこのサポートはなかなか丁寧(新鮮)で印象的でした。

       訳そうとしましたが、日本語にはないんですね。wikiでも日本語だけ(地域の)「自治権」とかになってしまい、人としての個のSelf-governmentを表す言葉がないのです。日本語がないので英語wiki より。
      In medicine, respect for the autonomy of patients is an important goal, though it can conflict with a competing ethical principle, namely beneficence.
       
       

              Zoom...



       
       フランスの総合病院は、かかりつけ医からの「この人にこの検査をさせてください。」というオードナンス(処方、検査指示)がないと受付ません(緊急以外)。何事も、主治医へ行ってその判断がなければ始まりません。誰でもこの、メドゥサン ジェネラリスト、あるいはメドゥサン ファミーユとよばれるかかりつけ医を一人決め、申告します。どこにいっても、メドュサンはどなた?と聞かれます。
      事前に検査内容がわかっているので、受付時に同時会計。検査後はさっと帰ります。


       

       
      さて。
      この、地味で殺風景な写真はMRI専門待合室、Salle d'attente....
      付き添いの私は待つ事、小一時間。。。

      見事に、植物も絵もない。。 

       窓が恐ろしく汚い(まるで Paris 行きの電車の窓。つまり、いましがたLuxor からCairo に到着した、砂漠を抜けてきた電車の窓によく似ている。)

       救いをもとめて窓に歩み寄り、汚れの隙間から外を眺めたらゴミ置き場。
      日常世界との落差にちょっと落胆。
       この鉄のバーで隠れているところに、ゴミのコンテナが10個以上乱雑においてあり。なんという殺伐とした切ない風景。。。 (- - ) 
       売店をチェックしたり、カフェを覗いたり、案内で院内パンフレットをもらってきたりして過ごす。
       



       20分かかった膨大なデータ結果はCD-ROM付きで一週間後だといわれ。ちょっと空振り感覚だった私。
       でも待ち合いに技師さんがいらして、廊下に呼ばれ、恭しく握手を二人共にしてくださり、ちょっとみた印象では全く問題はないですよと、すぐに安心の言葉をかけてくださいました。


       そしてイースターに安心の結果を受け取り、血腫も水腫もまったくない、と書いてある正式なレターとデータを受けとってきました。
      よかった、少々自覚症状もあるような気がしての、自主的に10年だということでの検査だったので。
       もしなにか問題があれば、主治医にランデヴーをとってそれらをすぐに持ってゆき、さらなる指示を仰ぐことになりますが。今回は「まあ、すぐに行かなくても次回のついでで、、」と言っている本人。
       驚いたことに「あの先生、日本人みたいだったよね。」「すごくヒソヒソと小さな声で喋る、本当に日本人みたいだったよ。中国人とも違うなあ。」と二人でいっていた技師さんは、なんと、本当に日本名でした。レターの名前に歓声。これで、もし私の「あたまがおかしくなる」ようなことがいつかあっても、フランス語が白紙になっても、あの先生のところへ検査にいけばいい、そして日本語で説明してもらえるのだと勝手にそこまで妄想している、とりあえず安心の増えた予期せぬ収穫はありました。


       
       
       、、日々と全く違う世界をみることは、私にとって豊かなことでした。

       健康で颯爽と歩ける事、元気である事、お洒落やお化粧できる事、長い艶のある髪がある事、そういうことが揃っていることがとても幸せな事なのだと感じました。

       車いすの女の子が私のブーツをみていた。そう、可愛いブーツが履けることも、それで闊歩できることも。当たり前ではない。
       




       

       






      ​ 街にはお店が多くセールだったので、あまりに病院が視覚的にも歩き回った結果も、売店もカフェテリアも、落胆があったので。街で可愛い物をみてブラブラと目の保養。でもあまり時間がなく、アンティーク•カントリーな生地と、超お買い得の香り小物などささっと買う。
       鹿と樅の実の石膏のメダイのルームフレグランスは、樅(コニファー)の香りの香油付き。窓などの取っ手にかけたり。ランジェリーの引き出しにいれたり。




       
       帰りに夫のママンの家に久しぶりに寄ってもらい、ちょこちょこと小さなものを溜めていたギフトを渡して喜んでもらって。いつもいただきっぱなしで。久しぶり。大したものではなかったのに驚かれて喜ばれてしまった。。それでまた溜まっていたジャムの空き瓶や食べ物の瓶をゴロゴロっとお返ししつつ。自家製 Crème de Cassis クレーム•ド•カシスをまた頂いてきました。
       
       喜んでくれて背を見送られました。
       こちらも寄れて、よかった。








       
       







      次回は、フランスのメドゥサン ジェネラリストの制度について。。。






       
       


       




      長いのはクトー(ナイフ)という貝。先日、日本のレストランでこれが料理された写真をSNSで見かけました。
      スペイン料理だったかしら。あら?あの貝は食べれるのね?と。これらは空っぽなのでバリバリ踏んでおります。
      掘れば生きているのがいるのかしら。。。

       




       

       



       

      映画「SiCKO」を観て

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         ウェブ上に日記など文章を書いて2年半がたちました。
        振り返ると、まあいつの間に、自分でもなかなか読み返せないほどの量を書いてきたものだとおもいます。

         その間に、海外に住んで、また帰国しました。住んだ先が少々珍しい土地だったので、時々日々の生活の中で出会う方々の中に、「ぜひ読ませてほしい」と興味をもっていただいたこともありましたが、それはすぐにはアクセスしにくいサイトでした。誰にでも見てもらえる普通のブログで一から、という気持ちを漠然ともちながら、一日また一日と日は経ち、とうとう一年がたってしまいました。その間に稚拙な外国語でもブログを書きました。

         私の海外の友人は語学の才に長けた人が多く、おどろいたことに、いつのまにか日本語で書いても海外まで伝わるようなってきました。そうおもうと、「いまさら、あえてブログをはじめる?」「さらに電磁波を浴びる?」という疑問に、「それでも」という気持ちが勝ってきました。

         その腰を「今日からはじめるぞ!」と、上げさせてくれたのが、昨夜見たマイケルムーア監督のこの映画、SiCKOでした。一足先に試写会をみていた医療関係に従事する家族から絶対に、すぐに観に行くようにと薦められました。数年に一度の傑作だったとおもいます。たいていの映画はDVDで見る私ですが、このような映画なら劇場で、一日でも早く見たいとおもいます。それで、めずらしく公開日に観に行きました。
         この映画は、アメリカ合衆国の医療問題の現状の真髄を、カナダ、イギリス、フランス、キューバのそれと比較し、監督自らがインタビューに出かけ、母国アメリカのお粗末で腐りきっている現状を国民と世界に向けて問いかけている壮絶なドキュメンタリー・フィルムです。

         私自身いくつかの国に住み、数十カ国を旅し、とりわけ医療という側面から各国で時には滞在者として、ときには通りすがりの旅行者としてさまざまな病院や医師のもとでの体験がありますが、既往症や保険の利かない疾病をもっていたことで、私はそれぞれの国々を短期間でより深く「観る」ことができたとおもっています。
         それらをこの映画は子気味のよいほどに軽快に痛烈に描き出し、同時に、医療技術の最先端で話題の米国の病院が、医師が、保険会社が、その影でより弱い立場の病者を見捨て、お金のない患者を断り、獰猛にも富と権力にしがみつこうとする醜さが暴かれています。

         病者を見捨てる。文字通り、保険会社に見放され医療費が払えず、家を失い、破産したひと、あるいは身寄りのない老人の病人へ医療を施すことを断る現状。大病院の医師が患者をただ一人タクシーに乗せ、入院のパジャマのまま路上に捨て続けている情景が(時には点滴の管をつけたまま、時には患者は意識が朦朧として歩けないまま。)隠しカメラですべて撮られています。何の説明も受けずに捨てられた患者は、ふらふらとあてどなく路肩をさまよい、運がよければ近くの心ある医師の小さな病院に引き取られることもあるようです。
        「よくあるんです。みればすぐに、あ、まただ、またすてられている、とわかります。」その医師はカメラにむかってそういいます。

        9 .11事件で必死になって人を助けた消防士を、米メディアではヒーローと大げさにたたえていた、はずだった。その影で、あの後すぐに、呼吸器官が犯され、仕事を失った女性消防士は、極貧と病気のどん底で医療ケアの機会を与えられていない。なぜ?

         一方で、同じ地上と思えない、イギリスそしてフランスのすばらしい待遇・システムは、フィルムの中では夢の国のように描かれています。それは人が、人として扱われていると感じさせてくれます。
        誰がどう世界を見るかによって多少のひいきはあるかもしれない、たとえそうであっても、この世界は、国境を越えただけでこうも違うという現実をあらためて思い知らされます。

         このページを何かの縁あって訪れてくださった方は、ぜひ、とにかく、見に行ってください。なぜならば日本は、世界という広い目から見たときに、残念ながらアメリカの後を追いかけているのでしょうから。

         日本のコマーシャルでは最近、保険会社のコマーシャルが急に増えました。さて、これらの保険会社は、弱い立場の人を助けてくれるのでしょうか?それとも米国のように、医療費の支払いを申請したとたんに、私たちの既往症を調べ上げ、契約時にすべての既往症を打ち明けなかったという「事実の記入漏れ」を指摘し、医療費支払い適用外はおろか、私たちを解約させ、借金地獄に陥れるでしょうか?

         米国の保険会社にはそれぞれ専属の医師たちがいて、保険適用を拒否したケースの多かった医師ほど、ボーナスが上がり、昇進し、年商があがるそうです。このシステムがすべての原因。このシステムが考え出されたとき、時の大統領ニクソンはこういったそうです。
        「それはいいね。」そして翌日、国民のまえでこのシステムを、すべてのひとに平等に医療が与えられる国民皆保険として紹介し、取り入れたそうです。


         人の命を助ける医療に、利益がからむのはおかしい。医療を越えて、さまざまな面からもう一度自分のいる世界を眺めなおしてみたくなる映画です。ただ、私は、真実を暴いたマイケルムーア監督の身の安全が心配です。彼が亡命したら、きっとフランスは暖かくうけいれてくれるかもしれませんが。

         ひとりでも多くの人に見ていただきたい映画です。



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